384 件の資料が見つかりました。
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広報たかちほ No.2 1962年5月号 広報たかちほ
No.2
1962年5月号ロなど動物の貴重な分布、それに周囲にある高千穂峡を中心とした五ヶ瀬川流域、山裏川岩戸川流域などが含まれています正しくは決定してから正式に広告されることとなりましょう。三、国定公園指定による利益は得難い学問的な資源を強力な...
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広報たかちほ No.7 1963年1月号 広報たかちほ
No.7
1963年1月号母傾山のりよう線一帯が公園の区域に入り、高千穂峡を中心とする景勝も区域に含まれることになるがこの指定によって、地域の総合開発につながる諸要素の進展に大きく影響することが考えられる。九州縦貫産業開発道路、延岡熊本間二級国道...
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広報たかちほ No.9 1963年5月号 広報たかちほ
No.9
1963年5月号時のいつわらざる私の感想をのべて見ます。高千穂峡の宣伝はやっておられるが、何のために神話を遠慮しておられるのかわからない。もっともっとコエを大にして神話として立派に現代に生さ、なお永久に伝うべきものであるはずです。それで...
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広報たかちほ No.10 1963年8月号 広報たかちほ
No.10
1963年8月号巡行コースは上記の通りですが、国見ケ丘、高千穂峡お塩井の玉垂の滝の清水をポンプ室から高校裏の城山配水池に揚水して、一般家庭に給水していましたが給水区域の街など人口の自然増加と建築ブーム、特種営業の給水需要が多くなり、度々...
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広報たかちほ No.11 1963年11月号 広報たかちほ
No.11
1963年11月号さんの家に泊り、四日は金四郎さんの案内で高千穂峡で遊び、午後沖縄に帰るため、鹿児島向けて出発しました。沖縄では印刷業を営んでいるそうですが、この小橋川さんの善意に報いるためにも沖縄の日本復帰が一日も早いことを念じたいもの...
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広報たかちほ No.14 1964年10月号 広報たかちほ
No.14
1964年10月号ス道路を視察-そのあと深みゆく早朝の秋の高千穂峡を見学して八時に旅館に引揚げました。旅舘に待期していた郡内の町村長議長は、ここで約三十分にわたり懸案の「延岡・熊本線の国道改良工事促進」や「高千穂・大津線の国道編入」などの...
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広報たかちほ No.16 1965年3月号 広報たかちほ
No.16
1965年3月号光開発は、今後の広域観光ルートの立場から高千穂峡、国見ケ丘、岩戸を結ぶルートとして。「祖母・傾国定公園」の名に恥じぬよう観光施設の整備促進をはかる。また「九州横断道路」とむすび九重、竹田、五ケ所をつなぐ最短コースとし、道...
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広報たかちほ No.17 1965年6月号 広報たかちほ
No.17
1965年6月号然、自然のままに美しく花で包もう国定公園高千穂峡や祖母連山誕生「祖母傾」国定公園自然公園左の写真は明治14年に、岩戸上村の藤野新三郎さんが、障子岳附近で射とめた熊の足。-大人の手足なみ-現在も障子岳頂上には熊の霊をまつる...
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広報たかちほ No.23 1967年6月号 広報たかちほ
No.23
1967年6月号ら六日二日まで町内各地でおこなわれました高千穂峡国見ケ丘、天岩戸神社定期観光バスの中、中川登大賀友一郎さんの家などで番組はオールロケーション、快晴に恵まれ順調に終りました。ドラマといっしょに紹介された郷土の山河、風俗主な...
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広報たかちほ No.26 1968年2月号 広報たかちほ
No.26
1968年2月号5)ゼロ″ことしも町内の交通事故死(4)高千穂峡真名井の滝と祖母山の二種全国発売各1,600万枚部落公民館合併で9月1日発足した上寺公民館。前館長に感謝状をおくる佐藤町長(3)新しい村づくりに始まる去年ベス一連の農業構造...
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広報たかちほ No.28 1968年6月号 広報たかちほ
No.28
1968年6月号ぐりその1下田原公民館町営養魚場で販売中高千穂峡お塩井の養魚場で、デメキン、シブキソ、ワキソ、ヒブナなどの金魚を販売しています。この金魚は高原町峡野養魚場で孵化したもので、現在およそ五百匹がいます。ネダソは一匹三十円から...
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広報たかちほ 高千穂町上水道機関紙まない 1986年8月1日発行 広報たかちほ
高千穂町上水道機関紙まない
1986年8月1日発行月待つは清き河原の引く水に麻のを浸てて…高千穂峡に遊んだ白秋晩年の作で、この歌碑はお塩井の駐車場かたわらにひっそりと立っています。…(土呂久南佐藤サミさんの小屋で写す)現在も土呂久方面でおこなっています。各所で見られまし...