254 件の資料が見つかりました。
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広報たかちほ No.6 1962年10月号 広報たかちほ
No.6
1962年10月号じめました。「部落内の年間の各種行事や、祭りを検討して統合したり廃止したりして今の時代に適応する生活の合理化をしよう」「結婚式の披露は、つとめて人数を制限し、双方出合いの上、一ヶ所で開き無駄を省く」「葬式のお膳は、家族と...
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広報たかちほ No.39 1969年10月号 広報たかちほ
No.39
1969年10月号発生し、一人がはねられて死亡しました。秋祭りの多い時期です。″のんだらのるな″県立高千穂職業訓練所が、十月一日から職業訓練法の強化にともない、名称も高千穂専修職業訓練校と改名しました。募集は十二月一日から訓練生は義務教育...
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広報たかちほ No.40 1969年11月号 広報たかちほ
No.40
1969年11月号十一月三日九回目を迎えた伝承天岩戸夜神楽祭りから「芝のり」町議会報告国道昇格「県道高千穂大津線」高千穂山鹿間阿蘇高千穂の観光路改良、近くなる熊本市佐藤高千穂町長談国道に昇格する県道高千穂大津線一般会計五億九千八百万円一千...
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広報たかちほ No.43 1970年4月号 広報たかちほ
No.43
1970年4月号部田坂本猶頼67、向山秋元、飯千賀市「お祭り広場の祭典」出。演者は、下川登たすることになりまし万博に出演する神楽高千穂の神楽が出演おどりといっしよにて、西都市の旧太鼓崎県の芸能を代表しり広場」の行事に宮の万博会場内「お祭...
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広報たかちほ No.48 1970年9月号 広報たかちほ
No.48
1970年9月号たの母校。あなたの子どもの学校です。▼秋祭りのシーズンです。天岩戸神社の祭典は九月二十二日と二十三日。六月九日付けで東西両神社が合併したので二十三日には合併祭とおみゆきのあと、お祝いのもちまきもあります。「奉献天岩戸神社...
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広報たかちほ No.73 1972年10月号 広報たかちほ
No.73
1972年10月号押方小、向山北小。十二回目を迎えた夜神楽祭りも、ことしで十二回目を迎えました。高校生をふくむ若い後継者も育って、赤い「みづら」のはち巻きが紅顔になびく日も間近。高千穂神社では毎夜公開この夏、境内に建設された神楽保存館は、...
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広報たかちほ No.78 1973年3月号 広報たかちほ
No.78
1973年3月号んこうすつきもちつき力つき三月三日「ひな祭り」。高千穂小学校では、玄関にひな壇をかざり、体育館の庭ではもうすぐ卒業する六年生三クラスと、家庭教育学級のお母さんたちとで、もちをつきました。「ぺったんこ」「ぺったんこ」なかな...
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広報たかちほ No.80 1973年5月号 広報たかちほ
No.80
1973年5月号o.80伝統受継ぐ子供たち梅雨あけたら夏祭りが参拝者の話題を集めていました。交通安全勘で走るな規則で走れ山頭火句碑いしぶみ郷土史8乾燥は十分に危い子供のカッター使用゛青空駐車゛は全面禁止市6月町は12月から道路上自動車の...
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広報たかちほ No.95 1974年8月号 広報たかちほ
No.95
1974年8月号おかずだったそうです。米の御飯などは。お祭りのときしか食べられなかった、と聞きました。今は、卵焼きとか米のごはんは、日常、普通の食べものです。でも、給食がはじまってよかったと思います。わたしたちは。百年記念卒業生なので、...
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広報たかちほ No.105 1975年6月号 広報たかちほ
No.105
1975年6月号後藤龍男さんがおまつりする、西ケ河内観音祭りは、春と秋に近年多くの信者を迎えて、にぎやかに催されています。県境には。またどうぞ宮崎へ(写真)と、キヤッチーフレーズの看板が立ち、熊本側の歓迎看板とともに、ここは肥後と日向の...
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広報たかちほ No.109 1975年10月号 広報たかちほ
No.109
1975年10月号穂郵便局∇チビッコ登場「つかれたナー」秋祭り岩戸で。映りが悪くなるテレビ電波妨害宮崎県電波障害防止協議会(会長・NHK宮崎放送局長広瀬光之)では、十月を電波の妨害、一掃運動期間としていますが、日常、テレビやラジオはもちろ...