135 件の資料が見つかりました。
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広報たかちほ No.14 1964年10月号
た大臣は、翌朝六時二十分、予定を変更して雲海の国見ヶ丘の大臣一行″こわい火災″ボンベは全部屋外へ火災があいついで発生しています。冬に向いいま焼出されたら大変、山の焚火の跡しまつ、わが家の火器類の点検をもう一度確かめてくだ...
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広報たかちほ No.19 1966年3月号
上には、しめと、ひ飾りが下がり、正面には雲海の高千穂を画きあげた風景の前に、五人の神がみが静かに会場を見下している、といった装置で、来賓諸氏の祝辞のあと地元民を代表して佐藤町長は”ここに三千年来、姿を出したことのない神が...
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広報たかちほ No.39 1969年10月号
そのうち三十%が秋の観光に集中しています雲海の季節を迎えてことしもすでに町内の観光旅館は予約が殺到して、紅葉の季節まで町内の名所は観光客でにぎわいます。この多くの観光客を迎える地元町民としては、親切に応待し、道順などはで...
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広報たかちほ No.73 1972年10月号
高く”運動会と収穫の秋が待つ。九月三十日雲海町を覆う。毎朝、駅通りとまちの電線に、真黒に群がったつばめの殿が旅立った。日本列島、北国から順に南下してきた子つばめたちも、元気よく先発隊に追いつくように”ぱつ”と中天に舞い上...
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広報たかちほ No.84 1973年9月号
原、県道土生高千穂線他四線、Λ橋りょう▽雲海橋(日之影バイパス)他一個所Λ舗装新設▽戸の鼻、上野Λ特四舗装▽五ケ所鹿狩戸他一個所。その他県の単独事業として、本年度は七千万円近く予算が投入され、公共事業ともには総額十億円を...
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広報たかちほ No.88 1974年1月号
が聞かれるほどで、日之影バイパスの新名所雲海橋と、津花バイパスもいよいよ本年も開通など国道の改良と国鉄利用で、観光はさらに大きく伸びることが期待されます。それにしても、石油事情の硬直化や電力の節減などがおよぼす私ども日常...
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広報たかちほ No.89 1974年2月号
を記念して制定されたもので、山高く谷深く雲海のたなびく大自然に包まれた私どもの町をそのまま表現しています。向山の子供たち田原中のマラソン大会日本人のもつ言葉のなかで、もっとも美しい言葉というのは「ありがとう」とか「すみま...
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広報たかちほ No.91 1974年4月号
は花いっぱい運動かえでも植えました橋は「雲海橋」とあわせて、観光地に植樹を進めています。そのなかで国鉄高千穂線高千穂鉄橋したの国道ぞい、町有地に四月八日四百本のナンキンはぜを植え付けました。このはぜは成育も早いので、この...
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広報たかちほ No.97 1974年10月号
末完成の予定。この地区には日之影バイパス雲海橋付近から中川登島戸の既設のタンクに引き上げた水を、さらに八十メートルポンプアップして、尾谷まで二千八百メートル延長しようというもので、使用パイプは百ミリ〜五十ミリ。Λ向山黒仁...
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広報たかちほ No.100 1975年1月号
津花バイパスの開通や高さ東洋一といわれる雲海橋の完成、さらに高千穂、宮崎間直行快速列車の運行など、数多い結果を生みましたまた、町道、農道なども着々と舗装改良がおこなわれており、このことは一町民としても大きな喜びであります...
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広報たかちほ No.101 1975年2月号
落が、高千穂へ近づくほど遠くになるころ、雲海橋は開通を祝う人でいつぱいでした。五ヶ瀬町での通り初め中央は高千穂三代夫婦組よろこびの郡民バイパス開通津花日之影2月は飲酒運転絶滅月間卒業式・入学式結婚式・花見3月はのんだらノ...
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広報たかちほ No.106 1975年7月号
松食い虫全滅作戦1ぴきも残すな雲海橋付近の防除ごくろうさまでした松食い虫の防除には松が枯れる原囚は、マツノマダラカミキリというニー三センチほどの甲虫が、マツノザイセンチュウという、目に見えないほど小さい虫を体内いっぱい入...