391 件の資料が見つかりました。
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広報たかちほ No.136 1978年1月号
われ、天皇、皇地地元としては、有意義な「神話五し発十て表四おさ年これ九な、月わ皇十れ太六る子日「ごか夏夫らの妻同国を十体お九」迎日がえ話のまちの秋祭りと重なり、開催ので、日本古来の国体競技が、神すもう大会などの行事もあり...
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広報たかちほ No.137 1978年2月号
係者を表彰祝辞の後有川高千穂警察署長が、神話の町から交通事故を閉め出そうと激励のあいさつを贈りました。これに応えて、三田井中川登の坂本刀男さんが、今後も事故をおこさないよう安全運転につとめますと答辞をのべました。表彰’受...
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広報たかちほ No.140 1978年5月号
」が、三月の衣装費、後継者育成費など国の神話のふるさと郷土高千穂の。重文指定によって、保存のため夜神楽を重文指定入しないと、生涯、年金がもらえ三十五歳になるまでの間、特定保したがって、満四十歳までに加れ、農業者年金に加入...
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広報たかちほ No.141 1978年6月号
東臼杵郡北浦宮崎県内の指定市町村は、宮崎神話の里らしく展望台は神様も同居山の中腹まで舗装のあと鳥居くぐる遊歩道仲町最所和養でて漁そ農間も終を四このは、業の山入指年指十の場都農を地村り定度と定六休市家、域を受五年の計の養し...
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広報たかちほ No.148 1979年1月号
て入場することになっています。天孫降臨の神話を伝説の町から「国体開始」の火を送る私共町民としては、これほど名誉なことは高千穂の。火”を国体へ位の創意工夫も期待したいところです。本年は秋の国体前に、県体の剣道競技や全九州中...
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この一票 町広報高千穂別紙 No.42 1979年3月号
されているのが見受けられます。本町は、「神話と伝説の国高千穂」として全国の人々から親しまれ、昨年は約九十六万人が観光に訪れています。しかしこのようなポスターが放置されている事は美観上見苦しいばかりでなく政治活動を逸脱した...
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広報たかちほ No.151 1979年4月号
たのは当然であろう。高千穂町は、日本建国神話や、上古民族の生活の跡々が数多く残されている。町民はこの郷土を「日本のふるさと高千穂」と呼んできた。五四年国体が「日本のふるさと宮崎国体」と名づけられたとき、高千穂を「日本のふ...
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広報たかちほ No.156 1979年9月号
と振替で二日間は休み、国体の見機会です、神話と観光の町を期待校も小学校から高校まで、夏休みたたまる親切が生きるのも、この覧も予定されています。町内の学日ごろ、町民のみなさんの心あ昭和54年9月20日こなわれ、期間中には皇...
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広報たかちほ No.158 1979年11月号
全国放送、福岡の石橋省三アナウンサーが「神話の町」も紹介しました。●三日間、ぎっしり詰まったスタンドに入り切れず、苦情も出たそのスタンドの裏の倉庫には、記録と速報を担当した職員と女子高校生十数人が「裏方」の大役をつとめて...
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広報たかちほ No.162 1980年3月号
ど、国際的大会も計画されています。自然と神話伝説、民謡、芸能ともに豊かな郷土高千穂は、先祖が残してくれた大いなる「遺産」で町全体が観光地です。全国に、残り少なくなった。秘境″をたずねて来る人々に、親切とやさしさを加えて、...
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広報たかちほ No.164 1980年5月号
。神前にささげる農民の伝統的な舞として、神話の天孫降臨から天の岩戸開きまで三十三番を形取った、高千穂地方の夜神楽の舞が、五月下旬から六月中旬にかけて、ヨーロッパ四か国で公演されることになり、奉仕者十人が五月二十六日、成田...
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広報たかちほ No.167 1980年8月号
サリ(神面の髪型)になり、御幣になって、神話の里を支えてきました。この麻も人工繊維の発達などで跡絶てしまったなかで、三田井北でただ一人、下阿床の岡部秀雄さん(七三歳)が、わずか四アールを栽培していました。栽培の目的は荒粗...