388 件の資料が見つかりました。
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広報たかちほ No.76 1973年1月号 広報たかちほ
No.76
1973年1月号自然を保護する一方、伝承されている芸能や神話のメッ力として、また日本人の心の古里ともしなければなりません。幸い、まちは活気にあふれ、在郷の商工・農村青年の近年にない意欲的な活動と、おとしより方の郷土愛には感謝のほかはあり...
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広報たかちほ No.77 1973年2月号 広報たかちほ
No.77
1973年2月号になった高千穂町「郷土の森」二アールには神話と伝説の地にちなみ”御神木”おがたま五本を中心に植え、とりかこむように白かし四十五本、ねずみもち十本を植えつけ、この地一帯は森林公園として永久に保存されます。植樹祭には町内関係...
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広報たかちほ No.87 1973年12月号 広報たかちほ
No.87
1973年12月号(九八九・一メートル)の男岳(おんだ建国神話、伝説を秘める二上山杉ケ越え標高九三〇メートルふるさとコラム峠...
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広報たかちほ No.88 1974年1月号 広報たかちほ
No.88
1974年1月号ぐまれた自然を、また、天の岩戸にまつわる神話をこの手で、自分たちの手で守っていきたいから。そして、東京や大阪みたいに、もうすでに、コンクリートの中で生活している人たちのために、いつまでも日本のふるさとであってもらいたい。...
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広報たかちほ No.101 1975年2月号 広報たかちほ
No.101
1975年2月号穂へ近づくほど遠くになるころ、雲海橋は、神話の里への大渡し。十一時三十分、岩戸川峡谷に″づしん″と大きく、花火の音がこだまして、天なる小雨を誘い出し開通式の山場ともいうべき、渡り初めがはじまりました。高千穂町甲斐助役や、...
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広報たかちほ No.106 1975年7月号 広報たかちほ
No.106
1975年7月号。て、楽しむことができます。高千穂町は、神話と伝説にはしく快適にすごせるというのがねらいです。このために、休養村に指定された区域には、自然をそこなわないよう観光果樹園や観光牧場、民宿遊歩道、案内所、売店など、その地域にふ...
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広報たかちほ No.112 1976年1月号 広報たかちほ
No.112
1976年1月号つ、鬼の住み家はあららぎの里。<神楽歌>神話、スサノオノミコトのおろち退治は夜神楽でも舞われます。(野方野で)昭和51年1月20日十二支のなかでとくに縁起がよいとされるのが虎(寅)や竜(辰)年いのししもまた勢いのよい獣と...
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広報たかちほ No.119 1976年8月号 広報たかちほ
No.119
1976年8月号、日本古来の武術、剣道がおこなわれますが神話と伝説の町にふさわしく、とみに盛んになった青少年の剣道とあわせて、有意義に大会を成功させるため、私たち町民ひとりひとりが、全国から集まる国体選手に心のこもった受け入れ対策、さら...
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広報たかちほ No.121 1976年10月号 広報たかちほ
No.121
1976年10月号た村祭りが、いま、各地で盛んです。さすが神話の里といわれるだけに、町内に神社は多く寛保三年(一七四三年)の記録では椎葉、諸塚、五ヶ瀬などをふくむ高子穂郷に五五四社があった=町史秋まつりの季節献血ありがとう年齢・階層・男・...
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広報たかちほ No.122 1976年11月号 広報たかちほ
No.122
1976年11月号のです。決定の理由は、応募者多数を採用。神話と伝説の町のイメージにぴったりとの意見でした。なお二十名の応募者の中から一人を抽せんで当選者とし、記念品を贈ります合。併記念式典は、総選挙や参院補欠選挙終了後の十二月十七日に予...
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広報たかちほ No.130 1977年7月号 広報たかちほ
No.130
1977年7月号。「日本のふるさと宮崎国体」をテーマに、神話と伝説、観光の町高千穂で催される日本古来の武道剣道大会は、町政史を飾るにふさわしい行事となりましょう。この大会成功のかぎは、会場や宿舎、駐車場など有機的な施設の完備もさることな...
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広報たかちほ No.132 1977年9月号 広報たかちほ
No.132
1977年9月号ていました。また、地層の調査のため現場を神話と伝説の土地柄にかっこうの約二千年前、弥生式時代の土器矢じり、柱の跡や、当時の生活に利用されたと思われ排水溝(みぞ)など、古代人の住民跡が発掘され、話題になっています。日本鉄道...