279 件の資料が見つかりました。
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広報たかちほ No.74 1972年11月号 広報たかちほ
No.74
1972年11月号はひとつの推測からの理屈ですが、わが町の夜神楽を考えてみますと、いつの時代に誰がどのようにして、と思うときそのほとんどがわからないことが多いと思います。ただ、私たちの遠い祖先が激しい労働と貧しい生活の合間にはぐくみ育てた...
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広報たかちほ No.75 1972年12月号 広報たかちほ
No.75
1972年12月号んは「来る前の朝、子供がテレビに高千穂の夜神楽が出てるよ、とおしえてくれました。日ごろ三人で話し合っていたことでしたのでもう一日も早くと思ってやって来ました。霜やけで寒くてたまらなかった冬。学校の帰りに刈干こづみを引き披...
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広報たかちほ No.80 1973年5月号 広報たかちほ
No.80
1973年5月号うがま出せがま出せがま出さにや二、今夜の夜神楽は千木の家三十三番舞い明かす嫌ぞのさんはほたり捨て神楽せりせり袖をひき戸取りに願う縁むすび(ハヤシ)三、ううごつ(大事)ができた祝い酒岩戸高千穂くし触さまと三社参りに夫婦連れ...
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広報たかちほ No.83 1973年8月号 広報たかちほ
No.83
1973年8月号かっぽ酒を振舞い、夜は高千穂神社で二時間夜神楽の無料公開をして、開通記念行事を閉じました。お知らせ高千穂線午前中のダイヤとして、八月中つぎの臨時列車を運行中です。延岡駅発七時四十二分高千穂駅着九時三十七分″発十時延岡駅着...
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広報たかちほ No.86 1973年11月号 広報たかちほ
No.86
1973年11月号カメラ探訪話題あちこち夜神楽の日どり十一月二十二日●下野大神野″″●上野須崎″″●上野雲井都″二十四日●黒口秋原十二月一日●岩戸五ヶ村″月三日▲山附小谷内″五日●浅ケ部梅木″八日■上永の内河池″十五日●野方野立石″十八日...
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広報たかちほ No.88 1974年1月号 広報たかちほ
No.88
1974年1月号るとやはり山の中だ。』これは、年の暮れに夜神楽で明かし、ひたすら神に感謝のまことを捧げてきた私どもの先祖のたくましい生活力は、まだ止絶えてはおりません。このような昔の生活を強いることはおろかしいことですが、最も快適な文化...
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広報たかちほ No.94 1974年7月号 広報たかちほ
No.94
1974年7月号産展に参加、なか日の夜八時四十分からは、夜神楽も奉納されることになりました。夏休みのご家族プランに「まつり宮崎」もどうぞ。高千穂コーナーは、会場西側正面入口の左側です。戸高重年上野飯干広秋元青少年育成推進指導員推進員推進...
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広報たかちほ No.95 1974年8月号 広報たかちほ
No.95
1974年8月号ます。に、十畳の和室や調理講習もできと、夜神楽も奉納できるステージ方メートルで八十人は収容できるホールれた公民館は、建て面積が百二平八月五日に落成式をし、改築さ名ごりを残していました。き火をしながら学んだ少年たちの神だな...
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広報たかちほ No.96 1974年9月号 広報たかちほ
No.96
1974年9月号もので、地元のユースホステルを宿舎として夜神楽見学、翌日地元青少年とのスポーツ交歓会になったものです。▲写真は、親善バレーボールの試合を終えて、対戦上野中選手とおわかれのひとコマ。第二次大戦中、いくさの災いをさけるため沖...
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広報たかちほ No.98 1974年11月号 広報たかちほ
No.98
1974年11月号、工藤洋子、富高スミエ、佐藤厚合計一〇三夜神楽日程十一月二十一日、上野祝原、民家十一月二十二日、下野辻″十一月二十二日、高千穂神社″十一月二十三日、″両日とも午前十時から夜半まで保存館で。十一月二十三日、上野鬼切畑民家十...
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広報たかちほ No.99 1974年12月号 広報たかちほ
No.99
1974年12月号この期間は、とくに年末年始で各種の行事(夜神楽、同窓会など)が多く、青少年の日常生活が不規則になり、万引き、けんか、シンナー・ボンド遊び、さらに幼児の火遊び、たこ上げによる事故など暗いニュースも多くなります。このような非...