238 件の資料が見つかりました。
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広報たかちほ No.50 1970年11月号 広報たかちほ
No.50
1970年11月号行押方高千穂女性ドライバークラブ植松正雄国見ヶ丘病院院長佐藤熊美下野15年交通安全協力者(感謝状)甲斐康文町病院15年有藤文一河内12年幸光義宮交16年安在吉雄上野14年戸高久治岩戸渡辺林業17年飯干山下博士三田井本組1...
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広報たかちほ No.51 1970年12月号 広報たかちほ
No.51
1970年12月号・高千穂小学校に器楽部誕生 ・町のサイフは健全財政 ・純利益百五十七万五千円 ・水道防寒 ・町議会だより ・夏菊総決算 ・告知板 ・広報メモ...
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広報たかちほ No.57 1971年6月号 広報たかちほ
No.57
1971年6月号・国土開発、町道づくり ・雨期に備えよう ・銃砲 刀剣 保管を厳重に ・この一票で国づくり ・いしぶみ郷土史 ・成人病 ・食中毒のシーズン ・花いっぱいの道に 田原地...
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広報たかちほ 別紙 第20号 広報たかちほ
別紙
第20号、および各支所と、指定病院の町立病院と、国見ヶ丘病院で不在者投票を受けつけています。八月二十五日の投票日当日、つごうで投票所に行けない人は、不在者投票をすることができますので、印かんを持っておいでください。病院は入院患者...
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広報たかちほ No.63 1971年12月号 広報たかちほ
No.63
1971年12月号・子どもはおとなの おとなは子どもの 声を ・国鉄高千穂線建設 ・土呂久の公害について ・土呂久での薬剤散布中止 ・秋の叙勲 ・”おはよう”からはじまった道徳教育の成果 ...
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広報たかちほ No.69 1972年6月号 広報たかちほ
No.69
1972年6月号と経営者高千穂、三田井本組尾の上興梠干穂国見ヶ丘、下押方坂本毅千木上押方佐藤武▲写真は、押方の民宿開通式を盆栽展で盛大にお願い七月下旬、鉄道開通式は、多彩な協賛行事が計画されています。そのひとつ、駅前付近で催される盆栽展...
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広報たかちほ No.72 1972年9月号 広報たかちほ
No.72
1972年9月号・"神話列車"は連日満員 「岩戸」をあけた高千穂線 ・小旗と歓声 七十余年待ちわびた日 ・早期しゅん工 見通し明るい高森延長 ・高千穂線に乗って ・集中豪雨で町内寸断 ・...
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広報たかちほ No.78 1973年3月号 広報たかちほ
No.78
1973年3月号・春の音 ぺったんこ ・おげんきですか 出かせぎ者慰問 ・うしどし大当り 前回より10万円高 ・新しいまちづくり 話題の用途地域とは ・みんなの広場 ・厳しい東南アジアの...
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広報たかちほ No.79 1973年4月号 広報たかちほ
No.79
1973年4月号はお塩井の遊歩道を県工事として進める一方国見ヶ丘、押方駐車場の整備と、シーズン中、車で雑踏する高千穂峡を通る県道、高千穂・新塚原線のつけかえ工事や、二一八号バイパスエ事の関連、上原付近の改良など総合的に運動したい。町自然...
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広報たかちほ No.80 1973年5月号 広報たかちほ
No.80
1973年5月号説明ひだり思いはさせはせぬ(ハヤシ)四、国見ヶ丘は雲の海刈干じゃすんだ迫々に駄草背負うち早よ去のやソバのだこ汁夜食に晩酌飲うじがま出さにや(ハヤシ)方言解説夕さりがた(夕方)ほっぽほうらい(むちゃくちや・考えなし・あても...
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広報たかちほ No.82 1973年7月号 広報たかちほ
No.82
1973年7月号は埋立地になっています。鬼切畑おぎりはた国見ヶ丘対岸の上野地区。現在十六戸の農家があります。地名のおこりは民話で有名な「鬼八退治」にはじまり、十社さま(高千穂神社)の祭神みけいりのみことが、悪法師鬼八をここで切ったので鬼...
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広報たかちほ No.84 1973年9月号 広報たかちほ
No.84
1973年9月号は、奉仕の精神を貫くため今まで高千穂峡、国見ヶ丘の清掃などかくれた奉仕活動を続けていますが、近年多くなった観光客や一般住民が雨に降り込められたときの用意に、雨がさ五十本とかさ立て二台を町に寄贈しました。このかさには。小さ...